2008/06/10

秋葉原無差別殺傷事件より… どうやったらこのような事件は無くなるのか?

【1日経って・・・】
事件から1日経って、いろいろと犯人の過去の素性とかいろいろでてきましたね。

mixiの日記にも大学の友人だったひとが殺された人の書き込みとかありましたけども、この無念さは犯人が泣いてすむものではない憤りがつづってありました。当たり前ですけども。

戦争が世の中からなくならないのと同じくらい、こういう事件はどうしても起きてしまうのかな?という諦めを感じざる得ません。しかし、少しでもこのようなことがなくなるように自分たちが、社会が動いていかないとだめなんだろうと思いますが・・・

【こういうことする人って・・・】
とりあえず一連の無差別殺人とかを自分なり総合してみると、いずれにしてもこういう事件って世の中から浮いちゃった人、孤独なかつ身勝手で一人で悶々としてる人が起こすんだろうな?と思います。仲間がいて自分の好き勝手なことを言えるような相手がいる人が、無差別殺人なんてしないと信じたいですが・・・ そんな人をかまってるほど人間余裕がある人なんていないわけですけども・・・

【これから世の中どうなっちゃうんだろう?】
そういう人の面倒を誰が見るの?という話ですが、結局問題起きるまで誰もいないんだろうと思います。社会のシステムとしてこういう人を相手にする機関でもできない限りは無理なのかなと思います。そんな機関に目をつけられる世の中もどうかと思いますけどね・・・

これに似た話として、「共謀罪」を立法化するか否か?という話が話題にも近年なってますよね?主にテロとかの犯罪の企てを話しているだけで罪になるというやつです。今回の秋葉原無差別殺傷事件の惨状は、テレビで見てるだけでも通り魔殺人を通り越してテロ事件のような大規模さです。もしかするとこの事件を教訓にこの「共謀罪」の立法化のような世論が拡大しないとも限りません。社会的に世の中を統制するということはこのような杓子定規な決まりごとが増えるということなので、逆にこの新しい決まりが世の中をおかしくすることもあるわけで、ますます世の中が難しくなる気がします。

教育問題なんかも、いろいろな問題から教師に対する制限が増えてなおさら教育が難しくなっていることからも、決まりごとで縛ることの長所短所があることが伺えます。

【結局は?】
結局は、日本は民主主義、自由な国のうちに入る国なので、カリスマ的な専制君主が許されるわけでもなく、いちいち人間の尊厳・権利にかかわることまで誰かにあずけて生きていく国ではないので、自分でやったことは責任をまっとうしてもらうという国であるので、しでかしたことには責任を持ってもらわなければなりません。しでかす前にわかればいいんですけども、戦後の生ぬるい環境で育った人間がだんだん増えてきた今日現在(自分もですが)このような生きる死ぬということの現実感が薄れているのでしょうか?本当に一度戦地に研修にでもいかないとわからないのかな?(自分も含めて)と思ってしまいます。

【シメ】
テーマが大きすぎてとりとめがない話になってしまいましたが、今回の事件そのものがマンガか?と思うようことが現実におきてしまっていることに、同じ世の中を生きているものとして流してはいけないと思い、とりあえず書き残すしだいです。

【追記】
この記事をアップして、ブログ村にトラックバックしたときに、おなじトラックバックコミュニティの記事にこんなブログサイトがありました。

あなたの子どもを加害者にしないために

全国のご家庭を訪問カウンセリングしている家族カウンセラー(家族相談士)のモノログ―家族のこと、気になる出来事を感じたままに率直に
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1156.html

このサイトの筆者によると「誰でもいいから殺したいは親への殺意の裏返し」とのこと・・・。むむ!そんな単純なものなのか?と一瞬思いましたが、自分が書いた「そういう人の面倒を誰が見るの?という話ですが、結局問題起きるまで誰もいないんだろうと思います。」ということとある意味一致するような気がしました。つまり、最後の頼るべき相手である親すらも心のよりどころとならない、もしくは、認められないということが究極の孤独感を生むのかもしれません。この人は、家族の大切さを提唱しています。

しかし、こればかりは、法は入る余地はないでしょう。そこをどう社会が変えていくのか?これは民主主義、自由国家では結局は立ち入れないような気がします・・・。

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